about 教室紹介

教授あいさつ

主任教授 近藤 幸尋 主任教授 近藤 幸尋

日本医科大学泌尿器科学教室のホームページをご覧いただきありがとうございます。日本医科大学は「済生救民」(貧しくしてその上病気で苦しんでいる人々を救うのが、医師の最も大切な道である)を建学の精神とし、学是を「克己殉公」、すなわち「我が身を捨てて、広く人々のために尽くす」こと、また「愛と研究心を有する質の高い医師と医学者の育成」を教育理念として掲げ、これまでに1万人を超える臨床医、医学研究者、医政従事者を輩出してきました。その中で私どもは質の高い医療を皆様に提供するばかりでなく尽くす医療にも取り組んでおります。

泌尿器科が担当する臓器は、尿に関連する臓器(腎、尿管、膀胱、尿道)、男性の生殖臓器(前立腺、精巣、陰茎)や後腹膜臓器である副腎などです。これらの臓器でおこる良性及び悪性腫瘍や炎症(感染症など)、機能異常を私たち泌尿器科医が取り扱います。これらの疾患に対して私たちは、歴史的に内視鏡治療を得意分野としています。1970年代に前立腺肥大症や膀胱がんに対して経尿道的手術を、1980年代には尿管鏡による尿管結石手術を日本でも先頭に立って始めています。その後1990年代に腹腔鏡下手術を開始し2000年には腹腔鏡下前立腺手術を始め、現在のロボット支援手術に至っています。このように今後高齢化社会を迎えるに当たり増加が予想される、前立腺肥大症、前立腺癌に対して低侵襲な内視鏡治療を得意としています。

また当科は内視鏡手術に限らず腎臓がん、尿路上皮がん(膀胱がん、腎盂がん、尿管がんが含まれます)、前立腺がん、精巣がんなどの悪性腫瘍を広く扱っております。泌尿器科のがん薬物療法は最近大きく変化しており、前立腺がんや腎臓がんにおいては多くの薬が認可され使用できるようになっています。それらの新しい薬を皆さんの状態を見て使用していかなくては適切な使用にはなりません。私たちのチームは泌尿器科医に限らず副作用が起こる可能性がある当該科の先生も参加していただき、より専門的知識と経験あるスタッフで構成されています。皆さんの状態に合わせたQOLを損なうことのない医療を提供できると考えております。
このホームページが皆様のお役に立てることを切に願っております。

日本医科大学付属病院 泌尿器科
主任教授 近藤 幸尋

教室の歴史

日本医科大学は1876年に長谷川泰により創設された済生学舎を前身とし、創立140年を超えるわが国最古の私立医科大学です。泌尿器科学は大正時代以前に皮膚泌尿器科として診療されており、佐藤邦雄先生(大正3年9月-大正6年4月迄)、中川清先生(大正6年4月-大正7年1月迄)、折笠晴秀先生(大正7年8月-大正8年4月迄)、高橋誠一先生(大正8年7月-大正14年12月迄)、北川淏先生(大正15年3月-昭和36年3月)が教授として教室を牽引しました。北川淏教授は、付属第一病院(飯田橋)を中心に泌尿器科学講座を作り、教室発展の基礎を築きました。

その後、付属病院は、昭和23年に皮膚科と泌尿器科が講座を独立し、当時の皮膚科学担当として丸山千里教授が誕生しました。研究・教育面は完全分離し、診療上は泌尿器科を包括した形で運営されていました。昭和38年に正式に付属病院泌尿器科として分離独立し、横浜市立大学より川井博教授が主任教授として赴任しました。その後、昭和57年には秋元成太先生が主任教授に就任しました。秋元教授は、昭和45年に付属病院人工透析室の開設に尽力し、平成6年から付属病院院長を6年間歴任し付属病院の発展に大きく御貢献しました。秋元教授の退任ののち、平成13年5月からは西村泰司先生が主任教授に就任しました。西村教授は、基礎研究では前立腺炎の機序解明を、臨床では経皮的腎結石破石術を先駆的に取り組み、平成20年には第96回日本泌尿器科学会総会を主催しました。

西村教授退任後の平成21年より近藤幸尋先生が主任教授に就任し、現在に至ります。令和2年4月現在、近藤幸尋主任教授のもと、日本医科大学武蔵小杉病院は濵﨑務准教授が、日本医科大学千葉北総病院は鈴木康友准教授が、日本医科大学多摩永山病院は佐藤三洋講師が泌尿器科部長としてその職責を担っています。今後も日本医科大学泌尿器科学教室は、各付属病院の連携下に臨床・教育・研究を先駆的に遂行してまいります。

済生学舎の創立者:
長谷川泰先生(1842-1912)
1876年(明治9年)西洋医の早期育成をはかるため、開業医を養成する私立医学校の済生学舎(日本医科大学の前進)を、本郷元町に創立した。

日本医大の校是である「克己殉公」は,医師の倫理に通じるもので、「自分にお感情・欲望・邪念などに打ち克ち人格を高め、我が身を捨てて広く人々のためにくす」ことである。

千駄木にある付属病院の歴史は古く,1919年(明治43年)、日本医学校付属駒込医院の開院が最初であった。その後、日本医学専門学校付属医院などに名称を変更し、1926年(大正15年)、大学昇格のときに、日本医科大学付属第二医院と改称された。戦後の1954年(昭和29年)、付属第二医院から付属医院と名称を変更し、1963年(昭和38年)には日本医科大学付属病院と改称された。

関連病院一覧

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